『信頼』と『依存』は違う!

犬との向き合い方

盲導犬を目指して、毎年パピーを約50頭を委託していきますが、今年委託してきたパピーも多くが思春期を迎えています。

この時期に家庭訪問をしていると目にする行動に以下のようなものがあります。

〇電話をしていたら邪魔をするように飛びつく、吠える…

〇ピンポンとチャイム音が鳴ったので対応しようとすると飛びついてくる…

〇特定の人の後ろをずぅ~っとついて回る…

〇一人で待たせようとすると鳴く・吠える…

〇散歩中にかんしゃくを起こしたように急に飛びついて腕を噛む…

これらはすべて依存行動といえます。

犬の目線で想像すると、

電話やチャイム音に飼い主が対応したことで、「飼い主の意識が自分から切れた!何とかご主人の注目を取り戻したい!」という心境による行動です。

パピーを委託して数か月が過ぎると、パピーもすっかり家族の一員となり、飼い主のことが大好きになっていきます。

ただし、それが行き過ぎると、信頼関係ではなく依存になってしまい、上記のような行動に発展する可能性があります。

❝信頼❞と❝依存❞の違い

ここで、信頼関係と依存関係について整理してみます。

❝信頼関係❞とは、

相手が「期待に応えてくれる、サポートしてくれる」という安心感があり、

健全なコミュニケーションのもと、お互いに協力してよい関係を作っていきます。

また、それぞれが自立しており、ともに成長する関係であることも特徴です。

一方で、❝依存関係❞とは、

自分中心で、自分のメリットを主張するようになるため、

適切なコミュニケーションが取れません。

他者に頼り、頼るものがないと不安定になり、

リスクを避けるようになることも特徴的です。

自分で問題解決できないので、成長も阻害されます。

この定義に当てはめると、

上記の犬の行動が、飼い主に依存して、飼い主がいなくなると不安定になり、注目してくれないときなどは一方的に自己主張しているという、依存行動であることがわかるでしょう。

怖い共依存関係…

依存が一方からならまだしも、互いに依存しあう関係(共依存)になると、依存していることにも気が付かなくなり自分を見失ってしまうので怖い…。

例えば、

相手からわがままな要求をされているにもかかわらず、自分のことをかえりみずに相手のために必死になっている人っていませんか?

「そんなに苦しいならそんな関係やめればいいじゃん…」って思いますが、

わがままを言われていることを「自分が求められている」と解釈することで、ますます相手のわがままに応えようと依存していきます。

尽くされている方も、構ってほしくてわがままな要求をしたり、時には相手を傷つけることもありますが、そうするとさらに尽くしてくれるので、傷つけることも苦にならなくなっていきます。

そうして過剰な共依存状態となると、『自分たちの仲を切ろうとするものは敵』と捉えるようになり、他の人を攻撃するようにもなっていきます。

信頼関係を取り戻せ!

依存にならずに信頼関係を維持するにはどうしたらいいでしょうか?

結論を言うと、❝境界線を引くこと❞です。

程度(どこまで許されるのかなど)や時間(いつ始まるか、いつ終わるか)などについて境界線を引いて付き合っていかないと決して互いの信頼関係は築けません。

犬との関係で依存関係になってしまう方の多くが、

『だってかわいそうじゃない…』という言葉を口にします。

私:「一人で待たせるときにはいたずらの危険性もあるのでケージに入れましょう」

飼い主:『狭いところで待たせてかわいそうじゃない…?』

私:「太っているのでご飯を減らしてください」

飼い主:『あんなに食べたそうにしているのに減らすのはかわいそう…』

これが共依存関係になると、

『一人で待たせるのがかわいそうだから、買い物に行けない!』

『犬も我慢しているから私も食べるのを我慢する!』

となっていきます(怖)。

まとめ

『かわいそう』は相手のことを想っているようで、

決して相手のための言葉ではありません。

『かわいそう』と思っている自分をなぐさめたり正当化するために発しており、

想いの矢印は自分に向いています。

そして、相手を可愛そうと思って付き合っていると、境界線があいまいになり自己主張が強くなってきます。

かわいそうと思われている相手も、期待に応えてかわいそうな状態を演じようとしますので、問題行動につながり、決して成長を促すことにはならないですよね。

したがって、犬と人の関係においても、

境界線を引くこと相手を尊重することになります

そして、「かわいそう」ではなく、

『あなたならできる!』と信じる気持ちが信頼関係を育みます。

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